今日はある先生からこんなことを尋ねられました。
藤原範士との稽古で、怖かったりしないのか?
具体的には、例えば『迎え突き』をされることは怖くないのか?
というご質問でした。
私は『迎え突き』は怖くないのですが、それよりも、『抜かれたり』することを怖がってしまうとお答えしました。
更に言えば、何もさせてもらえないくらいに操られることの方が怖いですね。
と言いながら、そういえば、嫌いな、かなりムカつく迎え突きをされることもあるなと思い出しましたので、ちょっとまとめます。
ここで、『迎え突き』について、私は二つのタイプがあると感じます。
一つは、『防御』としての迎え突き。
迎え突きは怖くないと言っておきながらも、このタイプの迎え突きは苦手です。
このタイプは『自分は崩れてない』ということを『迎え突き』で示すわけですが、明らかに打突部位を捉えられていることがあります。
そうしたとき、自分は打たれていないということをアピールするかのように、明らかに手元を前に出して、打突部位(つまりは突き垂れ、または胸突き)から外れたところでも、お構いなしに突いてくる人がいます。
なので、痛いです。
喉元が傷だらけになります。
何故か脇や腕にアザが残ることもあります。
こういう人とやるのは、正直、嫌です。
私は、これは、偽物の『迎え突き』だと思ってます。
『迎え突き』でありません。
打たれたあとに、苦し紛れに手を伸ばしたら、相手の体に引っ掛かっただけです。
応じることも、余すことも、交わすことも、何も出来ないから、苦し紛れに行っていることで、仮にも打突部位を捉えられているならば、それは、有効打突を奪われているということでしょう。
いわゆる死に体です。
それが分かっているからこそ、相手の残心の姿勢を崩すために、あからさまに突き崩そうとする先生もいますが。。。
いや、あんた、頭まっぷたつだから、と言いたくなります。
もうひとつのタイプは、
『今じゃないよ』
と指導をするための迎え突きです。
あくまでも、私見ですよ。
私が稽古で感じることですよ。
そのくらいで読んでくださいね。
私が藤原範士の『迎え突き』が怖くないのは、このタイプだからです。
だから、ほとんどが突き垂れ、または、私のように顎が上がる人は、喉のど真ん中に竹刀がはいるんです。
だけど、痛くない。
適度な圧力のところで、手元を引かれるんですよね。
絶妙です。
前者のように、打たれたことを打ち消したいばかりに、脇のあたりでも、胸元であろうと、どこもかしこも突くのとは訳が違うんです。
もうひとつ、付け加えるとすると、
そうは言っても、藤原範士も手元を前に出してることがあるんです。
『迎え突き』のように見えて、あれは『突き』なんですよね。
防御しているんじゃないんですよ。
あくまでも、私の私見ですけどね。
実は私は迎え突きをすることが多くて、この数年かけて、迎え突きをするくらいなら、応じる、さばく、余す、など、技に繋げられるようになろうと心掛けてます。
それは、やはり、藤原範士がそういう剣道をされるからです。
『迎え突き』はあくまでも、そういう指導を必要としている人に対してされてることで、藤原先生は、ほとんど技で返されてます。
迎え突きをされている私は、まだまだ『今じゃないぞ』『ここじゃないぞ』と教わっているのだと感謝してます。
決してドMではありません。
いや、これをドMと言うのか(笑)
写真は竹刀袋の刺し子。
自作です。
今日、とっても強い六段の女性の先生に褒めてもらいました。
見てくださって嬉しかったです。
昨日の記事にもつながりますが、見てくれてる人はいるということです。
どうが剣道も褒められますように(。>д<)
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